中澤 十矢(トオヤ)

1968年東京生まれ
TenArrows HGS代表
コアクティブ(協働)コンサルタント
元外資系企業経営者
あらゆる問題や課題の本質を見抜いて、共に考え、共に行動し、解決へ向け共に歩んで行きます。
いざというときに共に粘り強く、後方からや前線へ出ても、その問題解決にあたるのが私の仕事。
プローフィール概要
【豊かな国際ビジネス経験とコミュニケーション】
商社勤務10年を含む19 年以上に渡る豊富な国際ビジネス、異なる文化間でのコミュニケーションの経験と実績。
【起業、事業開発(ビジネスデベロップメント)経験】
海外企業の日本法人2社を起業設立、日本における事業開発、構築。
スタートアップから創造的、かつ効果的なビジネス開発、マーケティング、プレゼンテーション経験。
2005年度、 2006年度、ベストパフォーミングカンパニー賞、2年連続受賞。
創造的な多くのプロジェクトを立ち上げブレークスルーへ。
【経営経験】
代表取締役として12年間に渡る経営経験。
ファイナンス、マーケティング、営業、製造、会計、ロジスティック、法務、総務、インフラ、チーム編成等、
広範囲に及ぶ社業全般を多くのプロフェッショナルと協働し、12年に渡りリード。
【コンサルティング、メンタリング、コーチング、カウンセリング(全方位アプローチ)】
メンタルカウンセリングとしてヒーリング技術も履修。
コーチングとして、
国際コーチ連盟(ICF)認定プログラムも履修。
これらはより、見えないエネルギー、感覚、直感、感情を重視する。
これらにより、自身の過去に自然と行ってきた人材育成経験や能力が、より体系立てられ、一層裏付けられて体得。
ビジネスのみならず、夫婦間、育児、子育てなど、多数の場面での有効性も体感。
【地域コミュニティー】
4児の父親であり、地域コミュニティーへも参加。
元小学校PTA会長(2年間)学校、地域、保護者たちと協力しながら子ども達育成のため各種課題への取組みで協働。
現在も、小学校親父の会メンバー、イベントを通じて父親達と繋がり、共に励ます。
少年野球部のコーチとして、地域の子ども達の育成にも積極参加。
プロフィールエピソード集
(エピソードⅢ*【商社勤務時代 1990-2000 ~ 起業家時代 2000~2011】)
【*エピソードⅢとは】
私の人生いろいろあった。そのストーリー、幼少期~(エピソードI)思春期~(エピソードII)社会人~(エピソードⅢ)現在~(エピソードⅣ)と自身では大分類している。エピソードⅢ以外はブログ等で徐々に明らかにしてゆく。
【私の出発点】
・配属後の初出社、「業務課」というところへ配属であった。
初日は、「たな卸し」という作業... ネジやら、ビスやら、初めて見るよく分からない製品を、5、10、15...と数え整理し伝票へ記載する。
「何だか自分の思ってたのものちがうな..いつまでこの部署なんだろう..」希望は、海外で華々しく活躍するチャンスのある部署だった。
それに比べ地味な部署だった... 与えられた仕事を黙々と作業した。途中「ご苦労さん!」と営業の先輩のくれたコーヒーが、優しく嬉しかったことを今でも覚えている。
日々の業務は、出荷作業、今風に格好良く言えばロジスティックか。 日々の作業は出荷指示伝票を元に、必要な品を集め、綺麗に梱包し出荷すること。誤出荷でもあると顧客や、営業から鬼の形相で苦情が入る。代わりに謝る。とにかくお客様へ確実に製品を届けるよう、誤出荷しないように精一杯努めた。
一通りの作業になれてくると、いろいろ聞き始める.. 「これは何?あれは何?何に使うの?」好奇心が沸いてくる。分かってくると愛着がより一層わいてくる。知識が知識を呼ぶ..
【実は倉庫は製品(実物)知識の学びの宝庫】だった。作業改善のポイントも見えるようになり、進んでするようになってきた。「製品が見当たらない」などもよくあり、担当者の棚も綺麗に心をこめて整理整頓。営業とも積極的にコミュニケーションし要望を聞き取る。ミッションは正確な出荷なのだから..
「いぁ、君が来てから綺麗になったよ」と担当者も喜んでくれる。信頼してくれる。掃除でさえ張り合いが出てくる。信頼の好循環。ミスもないし、配慮ある梱包だしと、私に作業者の指名が入る場合も出てきた。
そして、今思えばわずか3ヶ月間が過ぎる頃、姿勢を気に入って頂いた営業の課長から呼ばれ、営業に引き抜かれることになり、営業でも一生懸命楽しんだ。その3年後、念願の貿易部門へ抜擢と繋がって行く。私の原点、現場主義。
「一心に過ごした3ヶ月間、喜びは見出されるものと気付き、その後のステップへ扉が次々と開かれてゆくことになる。」
【商社勤務、国内営業時代開拓神話?】
営業ルーキー2年目。航空機に給油する、サービサーという給油中継車を制御する油圧制御装置をシリーズ一括受注!
それにより新規開拓でルーキーの記録達成。仕入先からも表彰頂いた!
【商社勤務、念願!貿易部門時代】
3年目に国際取引部門のチーフとして抜擢される, Chief of International Trading (Import & Export)
以降7年間、国際ビジネスの新規開発担当者として部門を牽引する。取扱製品、ビジネスラインは多岐種類にわたる..
(輸出)H社製電磁誘導ゴルフカートシステム:韓国代理店開発販売、油空圧機器:韓国、ドイツ、アミューズメント機器(いわゆるプリクラ):J社製ステッカー機器の韓国での販売専門会社発足、サポートもした。
(輸入)J社害虫駆除装置:USA、仮設ハウス用鋼材:韓国、E社シール製造装置:オーストリア... など
【貿易部門チーフ抜擢ストーリー】
当然e-メールなどなく、FAXで仕事。まだテレックス神話が残っていた頃。しかも当時の社内は「フロア一斉電話」(知ってますか?)フロアの電話が一斉になるタイプ。
そこで新人の先ずもっての仕事はいち早く電話をとり繋ぐこと。条件反射のように体が反応したもの..
たまに海外から電話が入る。それを取次ぐが、国内営業は英語を聞くと即「ガチャ」っと切ってしまうことも多々。
私はコミュニケーション好き。まして大切な連絡かもしれない、切ってしまうなどできず、逆に好奇心が騒ぎチャレンジしていた.. その積み重ねが、やがていつの間にか英語で電話がかかってきたら、先ず中澤へまわせが了解事項のようになり..
ある日、新しい部門長(現社長)が着任。 後に打診頂き、念願の貿易部門へ抜擢、登用されることに繋がったのです。
もちろん、その後は部門毎のダイヤルインになったことはいうまでもなし。
【初海外出張】
その後何回も行くことになるが、1994年初めてのヨーロッパ出張でUK経由から休日を過ごしたパリ。一人で凱旋門の上に立ち、モンマルトルの丘を眺めながら自分もたいしたもんになったなぁ..と一人感慨にふける。シャンデリゼ通りの公衆電話から母親へ電話した。
【システム開発】
今なら信じられないことだろうが、入社当時は英文書類は全てタイピング。貿易のドキュメント処理は過酷。タイピング、それが貿易の仕事なのか?と感じるほど..
そこにやっとPC(MS-DOS)が入ってきた! ロータス123という優れた計算ソフトに驚く。マクロに魅了され、貿易部門のドキュメント処理システムを自作構築!見積、確認書、インボイス、パッキングリスト、全て商品データをDB化して活用しプリントアウト。
金曜日の夕方から作業に入り、熱中して気がついたら月曜の朝!(それだけワクワクドキドキ)その後、どれだけ効率化された事か.. 好評につき、その後、国内営業部門の見積処理システムも作成依頼される。一体何屋さんだ。(でも皆が喜んでくれるのが嬉しかった)
おかげさまで、システム部門のご意見番として、現場とのシステム部門との通訳(彼らの異言語を分かる者)として重用される。
社内コンピューターウイルス第一号の第一発見者!挙動のおかしいPCを相談され、見抜き、システム部へCall。被害を未然に防いだ。(ウイルスを発見したときは、何故か「やった!」知的好奇心の踊る楽しい作業でした。)
【通貨危機を乗り越える】
韓国でのアミューズメント機器(いわゆるプリクラ)販売が軌道にのって取引額も大きくなっていた頃、未経験のウォン下落(通貨危機)が襲った。
このときスタンバイL/Cなど、決済アイデアを絞り出し、あらゆる手を尽くしてこれを乗り切った。
当時S銀行から出向していた次長に大いに可愛がって頂き、知識を授けて頂き、助け、育てて頂いた。
S次長いまだに感謝です。
【平成8年8月8日】
家内と晴れて入籍
【ミレニアム(2000年)退社】
新たなチャレンジへ.. このとき妻は第一子(長男)を妊娠中。
会社としての正式な送別会の開催は勤続10年が必要。このときの勤続は正確には10年に2週間足らず、会社としての送別会を行ってもらえなかった。しかし有志で開催された送別会にはベテラン先輩も「今までにない」と言うほどの人数の男性、女性、上司、先輩、後輩が集まってくれた。盛り上がったのは言うまでもなし(大感謝!)
【起業~経営時代 2000-2007】
【ハンズオンの原型?】
ミレニアム退社後、起業準備中の暫くの期間、商社勤務時代に取引のあった大阪のO社より連絡があり、貿易に関するコンサルティング依頼があり個人サポートする。
フランス製有名ガラスメーカーS社、O社が代理となる化学強化特殊ガラスの輸入事業サポートだ。今思えば
ハンズオンの原型。
バードアタックなどのある、航空機のフロントガラスにも使われている。
その強靭な特殊ガラスは、そのコンサル以来、当時の新型車両から現在に至っても「
新幹線のフロントガラス」、あの見事な流線型、そしてニューヨーク地下鉄のガラスなどに使われている。
【 起業のきっかけ】
過去に、E社シール製造装置を輸入販売していた。この装置一式を使って「新たに付加価値のあるビジネスができます」と、啓蒙活動的な営業。数千万になる製造装置を数台販売したが、数多くの企業を回り説明、説得して歩く間に、「よい話があるならご自身でやったら?」と言われることも多くあった。
さていっそ自分でやって見せたらどうなんだろう.. そして、ゼロベースから製造メーカーを発起設立させることを決意する。
(株)エコノモス・ジャパン 代表取締役
【2000年6月設立登記完了】
起業と、格好良くといっても、始めは私1人で、家内が会計担当、自由が丘のワンルームマンションからのスタートだ。
机やら電話機、社内処理から何から何まで準備もいっぱい。
StartMeUpの原型。そう、まさに
起業とは、問題や課題だらけなのだ。多すぎて書ききれないので、省略..
今でも家賃も出なかった最初の頃を思い出す。そして第一号の受注は今でも忘れない。本当に感謝している。
やがて、興味を持った人たち、後輩が1人、その友人が1人、ネットで興味を持った人物がまた1人と飛び込んできてくれた。日々のコミュニケーション、飲ミニケーションも熱い。何しろ「もの作り」など、やったことのないメンバーがメーカーを立ち上げようというのだから..
【2001年製造開始】
大田区下丸子に工場を設立
【2006年川崎市へ工場を拡張移転】
この頃は、年間売上げ数億円の高収益カンパニーへと成長していた。この頃の記事がまだネットのどこかにあるので、宜しければ検索してみてください。
【ベストパフォーミングカンパニー賞、2年連続受賞。】
2005年-2006年
もちろん私がリードしたけれど、この名誉ある受賞はこれは当時のスタッフ皆の努力の結晶。皆の賞!
いまだに感謝。ありがとう!
【ブランド名命名】
新製品の命名。これは社運をとまでは言わないが、非常に大切でクリエイティブな作業で、皆でアイデアを持ち寄る。そして投票が行われる。いつだか私の提案した名前が、全世界レベルで採用となった。嬉しかった。そのブランド名のアイデアがひらめいたのは、ある朝、寝起きの瞬間だったことを覚えている。
【転機~バイアウト】
2007年、親会社の被買収(オーナーが売却)をきっかけに、同社代表取締役を退任。
ここは資本の論理、株式の論理が幅を利かすビジネスの世界。どう創り上げたかなどお構いなしの世界。
株式の多いものが勝つ。私も起業当時は、会社勤めからの転向スタートで、もちろん潤沢な資金があった訳ではない。
スタート時に買い増し条項などのオプションなどを交渉すれば良かったのだろうが、当時そこまでの考えはなかった。
パフォーマンスの良い会社は、買収してその結果を手に入れたい。それが資本の論理。ビジネスのやくざな一面でもある。そして株式を売却し、退任することになった。格好良く言えばバイアウトですが..
皆との別れは、今でも覚えている。その後いろいろあったろうが、それぞれの世界で頑張ってくれているのが嬉しい。
協働、たくさんの喜びをありがとう!
【再会】
幼子3人どうするか、暫く休養するか.. 就活するか..などと考えていた当時、ふらっと子どものサッカーに付き合っていた。するとどこかで見たことのあるような、おば様が...
ん~さて?... 学生時代の英語の先生だ! 恩師ともいえる。それが同じチームの子のお祖母さん。しかも近所に住んでいた!17年ぶりの偶然の再会。四方山話で再会を喜ぶ。私の近況に話が及ぶと、「大丈夫よ!私の主人が似たようなもの..と」ご主人に会うように勧められる。そう、先生のご主人は良く知った海外アパレル会社の経営者。様々なアパレル会社の代表を歴任されている。青山骨董通りにあるオフィスに伺った、経営者経験者専門のヘッドハンティングエージェントがあるという.. なんという再会!なのだろう。
【ヘッドハンティング】
このヘッドハンティング業界の情報展開は早い。どうやら起業~経営を経験している私のような人物は少ないらしい。あの日を境に幾つかのエージェントからコンタクトがある。経験は価値評価が大きく違う..
日本の就職斡旋企業とはなんだか明らかに世界が違う...
(株)ビッツァー・ジャパン 代表取締役
【2007年11月設立登記完了】
今思えば、
StartMeUpそのもの。ドイツ系のメーカーの日本法人をコンサルタントとして設立から手がけ、経営に入る。 今までとは分野が異なるが、そのあたりのつかみは早い方と自負している。さまざまなプロフェッショナルと協働し、設立させ軌道に乗せる。前回とは起業規模が異なるダイナミックな展開。
【業界浸透】
始まってしまえば、あっという間に業界に人脈浸透してゆくコミュニケーション。エコキュートなど1の電気エネルギー投入ながら4倍のエネルギーでお湯を沸かしてしまう。外気熱を取って、水へ熱を伝えることから、ヒートポンプなどとも呼ばれる優れた技術製品などにも採用された。
【協働:ブルーオーシャンプロジェクト】
地球温暖化ガスであるフロンガス。大気へ放出された場合、CO2の温暖化効果を1とすると、2000~3000倍もの温暖化効果となるもの。 例えば皆さんの身近に行くスーパーマーケット。生鮮食品、冷凍食品を陳列するショーケースがある。 これらを冷やすのに、フロンガスが1.5トン近く使われているのだ...これが年間十数パーセントの割合で漏れ出していると。その場合CO2排出に換算すると、えっとその数千倍なので... この目に見えない課題を解決しようという試み。
経産省や環境省をはじめ、民間の多くの企業が協働し、力を貸してくださった。そして初めて手がけたノンフロン試作一号。この試みに関する記事などはネットで拾える。例えば「
この記事」。これらは会社そのものへのブレークスルーをもたらすばかりではなく、世の中の環境問題解決へも大きく寄与したはず。N社I社長始めお付き合い下さった皆様には心から感謝している。今後の発展も心から願っている。
---以下編集中
【心境の変化】
特に3.11の後だろう、自分の心境が大きく変化していることに気がつく。
【本当の豊かさ】
若干、経営的、左脳説明で表現すると...
豊かさは価値をもつ。例えばお金は価値のなかの一つにすぎない。豊かさとは何なのか、喜び、幸せ、人それぞれ考えや感じ方が異なるだろう。バランスシート的な視点で考えてみると..
今まではお金が資産としての価値の多くを占めていたのかもしれない。損益計算書的視点で考えてみると、行動の多くがが「お金を得るための活動」という方向に向かう。
仮に「幸せ」を価値と考えると.. 資産(豊かさ)= 幸せ2、お金8 という格好だ。そのお金を得るために、他の幸せを削った格好となるからだ。その資産構成を、資産(豊かさ)=
幸せ6、お金4 とするバランスシートから、損益計算書的視点で考えてみると「より多くの幸せを得るための(好きな)活動」という項目が入ってくる。
私たちはそのバランスを見直すところに来ているのではないか..
「問題や課題を喜びへ!」それは人々がより豊かなライフスタイルを目指す行動であると見えてくる。
【転機】
2011同社代表取締役退任 これから始まる新たな世界(エピソードⅣ)へ!
「問題や課題を喜びへ!」大人も子ども達も、より喜びや笑顔あふれる社会、未来へ希望にあふれる世界を残して行くこと...
私たち大人の責務と考え、これまでの経験や自身の能力でフルコミットし、そこへ微力でも貢献出来たら本望です。
「人物タイプ評」
先日、知り合いのコンサルタントの方に、私は水戸黄門のように、普段はニコニコしていて、
いざ何かあると必殺仕事人タイプ。頼りになるラスボスタイプのようだと評して頂いた。
何か自分でもある意味納得している。
【コーチングのパワー】
TenArrows HGSについて

「ロゴに込めた意味」
私の名前「十矢」(とおや)。その意味合いを力強くモチーフにロゴ化したもの。その意味合いは..
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十本の矢、矢が指し示す方向、羅針盤(コンパス)、案内人、伴走者
十(十字架クロス)、人生の方向、プロジェクトの射抜き、折れない
愛情..
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問題や課題を喜びへ! このテーマを追いながら、皆様と末永く繋がっていけたら私の喜びです。